院長紹介

ご挨拶


院長 橋本耕二

初めまして、はしもと内科の 橋本耕二と申します。
2013年10月1日から、近鉄奈良駅の前で、診療所を始めました。
近鉄奈良駅には、子供のころから、奈良公園での遠足、御祭りや映画館などでよく来ていました。
緑が多く、歴史のある、ここ奈良で開業できたことを光栄に思います。

簡単ですが、自己紹介をいたします。
私は、平成12年(2000年)に医師となり、奈良県立医科大学の消化器内分泌代謝内科で研修を始めました。
内視鏡専門医として、食道がん、胃癌の検診や治療に多く、携わりました。
肝臓、胆のう、すい臓のかたの治療にも長年従事しています。
今後も、今までの経験を活かして、エコー、鼻からの胃カメラを使って、診療にあたろうと思っています。
また、内分泌代謝内科として糖尿病や甲状腺の治療にも数多くあたりました。
特に糖尿病の治療に力を入れており、食事制限、運動療法、飲み薬、インスリン治療のかたと、多くの治療経験があります。
高血圧、高脂血症の、いわゆる生活習慣病、風邪、予防接種、禁煙外来など、内科一般のかたの治療を行います。
新しい治療薬が次々と発売されていて、治療の選択のはばが広がっています。
適切な治療を受けていただくために、最新の知識を身に着けることはもちろんですが、患者さんの思いもよく聞いて、分かりやすい言葉で説明し、一緒に治療に臨むようにしていきます。
気軽になんでも相談してください。

最後になりますが、私は、研修医のときに、指導医から問いかけられた言葉を胸に、診療にあたろうと思っています。
それは「患者さんが、自分の家族なら、どのような治療方針をたてるか?」という問いかけです。
今まで、多くの患者さんとご家族のかたと出会ってきました。
その出会いのたびに、「このかたが、自分の家族なら・・・」と、患者さんと向きあい、真剣に診療してきました。

ここ、奈良の地で、今までの経験を活かして、地域の皆様に受け入れていただける診療所を目指していきます。
どうかよろしくお願いします。

経歴

平成12年(2000年) 奈良県立医科大学 卒業
平成12年(2000年) 奈良県立医科大学附属病院 消化器内分泌代謝内科
平成14年(2002年) 大倭病院 内科
平成15年(2003年) 大阪暁明館病院 消化器内科
平成17年(2005年) 県立奈良病院(※) 救命センター 医員
平成19年(2007年) 県立奈良病院(※) 消化器内科 医長
平成23年(2011年) 国保中央病院 内科・消化器内科 医長
平成25年(2013年) はしもと内科

(※ 現奈良県総合医療センター)

加入学会・資格など

日本内科学会 総合内科専門医
日本消化器内視鏡学会 専門医
日本消化器病学会 専門医
日本肝臓学会
日本甲状腺学会
日本糖尿病協会 登録医
日本ヘリコバクター学会

プロフィール


子供からみると、こんな顔です!!

誕生日 3月7日
星座 うお座
血液型 A型
動物占い 虎

千葉県船橋市生まれ
父の転勤で大阪茨木市、インドネシアのメダンへ
小学校2年生から奈良市

趣味

○登山
趣味というほど登っていませんが、経験者に連れて行ってもらいます。三峰山(みうねやま)で、生まれて初めてみた樹氷が美しくて感動しました。

○読書
特に好きなのは、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」です。激動の時代の若者の物語です。知っているようで知らなかった竜馬の活躍に心が躍りました。若いころに読んでおけば良かったと後悔しました。ヘミングウェーの「老人と海」は何度も読み返すほど好きです。他にもジャンル問わず、月に一冊を目標に読んでいます。

○音楽

「ゆず」が好きでよく聴いています。特に「3カウント」「栄光の架橋」「虹」が好きです。古いですが、サイモンとガーファンクルも好きです。男性デュオが好きなのかもしれません。

○ひつじのショーン

大好きです。ご覧になっていない方は是非とも観てください。粘土で出来たひつじが生き生きと動くアニメです。滋賀県米原市にひつじのショーンに出会える素敵な庭園があります。ぜひ、行ってみてください。ショーンは、はしもと内科の所々に出没しているので、探してみてくださいね。

○映画鑑賞
さだまさし氏原作の「解夏(げげ)」が好きです。病気で徐々に視力を失う主人公を大沢たかおさんが演じています。 病気を苦しみ乗り越える姿に感動しました。 まだ見ておられない方にお勧めします。宮崎駿さんの「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」も好きで何度もみています。子供と一緒にみているのですが、涙もろくなったのか「モンスターズインク」「トイストーリー3」「リメンバーミー」で号泣してしまいます。

○サッカー
週に一度、汗を流しています。時々ゴールしています。
思いっきり汗をかいて、仲間とボールを追いかけることは最高の気分転換です。

○サッカー観戦
サッカー日本代表を応援しています。もっぱらテレビでの観戦です。

○ハンドボール
大学時代はハンドボール部に所属し、主に左サイドのポジションをしていました。
キャプテンを任せていただき、仲間とともに同じ目標に向かって頑張ることを経験しました。機会があればまたプレイしてみたいですね。

私が医師を志した理由

私が医師を志した理由

私が医師を志したきっかけは、祖父の死でした。

祖父は末期の癌でした。癌が見つかったときにはもう手のほどこしよう
のない、厳しい状況でした。

私は中学3年生で、高校受験がすんだ冬の終わりごろでした。
祖父の入院している千葉へ、両親とともに見舞いに行きました。

病気で入院しているから、見舞いに行こう、そのくらいの気持ちだったと思います。
春に入学する高校の、真新しい制服を奈良から着て、病院に向かいました。

病室に入ると、今までとは違う祖父がいました。
痩せて、声が出ず、動くこともままならない姿でした。
そんな状態でも、私を見て、涙を流して喜んでくれました。
私の制服を見て、うんうんと嬉しそうにうなずいてくれました。

でも、私は、驚きで言葉が出ませんでした。

高校に入学するよ、東京見物に連れて行ってくれてありがとう
おいしい天丼を食べさせてくれてありがとう
映画に連れて行ってくれてありがとう
これらの言葉が心に浮かぶのに、何ひとつ声になりませんでした。

しばらくして祖父は亡くなりました。

高校生になり進学を控えたころ、どこの大学に進学するかというより、将来の職業について真剣に考えました。
友人と語り合ったり、親と話したりしました。
どんな仕事でも、人々や社会に貢献していることを教わりました。

私は祖父の死をきっかけに、人の死、医学について興味を抱くようになりました。
祖父の感じた苦しみ、悲しさを取り除けるような職業につきたいと思い、高校3年生の夏に、医師を志すことにしました。

医療に対する礎(いしずえ)となる言葉

それから時が流れ、医師国家試験に合格することができました。

大学を卒業してすぐの研修医の時に、
今後の私の医療に対する礎(いしずえ)となる言葉と出会いました。

「患者さんが、自分の家族なら、どのような治療方針をたてるか?」

研修医のときに、指導医から、ことあるごとに問いかけられた言葉です。
本当に深くて良い問いかけだと思います。
この患者さんが自分の祖父だったら、こんな無茶な治療をするだろうか。
逆に、諦めるような状態ではないから、この治療を試してみよう、 というような考え方ができました。
自分の表情、言葉遣い、選ぶ言葉も気を付けるようになりました。

年齢、性別、社会的な立場、持病、家族関係・・・
挙げていけばきりがないほど様々な背景があり、 当たり前ですが、同じ患者さんはいません。
医学の教科書に書いてある治療を型どおりにできないケースが多々ありました。
そのようなケースに出会うたびに、この言葉を思い出して 患者さんと向きあい、診療してきました。

チーム

しかし、全てがうまくいくとは限りませんし、
医療は医師だけで成り立つものでないことをずいぶん思い知らされ
ました。

「本当はだいぶ痛いみたいだよ」「本当は家に帰りたいみたいだ
よ」と、患者さんが私に言わない情報を集めてくる看護師さんに
ずいぶん助けてもらいました。
病状を説明する際に、患者さんと私の二人だけなのを見て、そっとそばに寄り添ってくれる看護師さんがいました。
どれだけ患者さんが安心したか分かりません。
癌で余命が短いことを伝えた後に、私がその場を離れても、患者さんに寄り添ってあげる看護師さんはどんなに患者さんの支えになったでしょうか。

病院や診療所に行って、患者さんが最初に話しをするのが事務員さんです。
保険証の確認、カルテの準備、会計、生命保険の書類、介護申請などで、事務員さんに毎日、何度も助けてもらっています。
直接、治療をするのではないですが、医療には欠かせない縁の下の力持ちだと思います。

医師だけの力ではなく、看護師さん、事務員さんの力が合わさって、患者さんを支えていると本当に思っています。一つのチームと言ってもいいでしょう。
チームの中で、それぞれ少しずつ役割が違いますが、医師も看護師も事務員も同じ目標を向いています。
「医療を通じて、少しでも患者さんがより良い生活を送ることを手助けする」という目標です。

はしもと内科は「患者さんが、自分の家族なら」と自分に問いかけ続けられる人がチームとなって、 患者さんを支えようと心から思っています。

どうか安心して、来院してください。よろしくお願いします。

開業奮闘記

開業奮闘記 1回目「開業を意識し始める(平成22年8月)」

平成22年に開業することを決めました。そのころの思いを綴っていこうと思います。

平成12年に医師になりました。
消化器内科を専門に、これまでに大学病院、大阪や奈良の病院に勤務させていただきました。
多くの患者さんと接し、多種多様の疾患、病態に取り組み、あっという間に時間が過ぎていきました。
そのような日々のなかで、「将来、開業するかどうか」を、医師になって10年目の平成22年に決めようと、ぼんやりと考えていました。

嵐のような日々のなか、平成22年になり、人生の方針を決めることとしました。

まずは、開業されている先輩医師のY先生の話しを聞きました。開業の動機、開業に至った経緯、苦労話、やっていて良かったことなどを詳しく楽しく教えてくださいました。

次に、企業が主催する開業セミナーに出席しました。梅田のスカイビルで、開業する場所選びの方法、経営を軌道に乗せる方法などの講義を受けました。

その後、開業コンサルタントのかたの話しを聞きました。患者さんがどのくらい集まりそうか、経営が軌道に乗りそうかのシミュレーションができ、開業に関する多くのノウハウを持っておられました。

さらに、本屋に行って、医院開業に関する数冊の本を買いこみ、読みました。

自分の知識と技術を活かして自分のやりたい治療をすることも大事ですが、開業する地域住民の皆さんのニーズをつかむことも大事であることや、医院経営などお金に関することなどが見えてきました。

今までのように大きな病院に勤務して、治療だけに専念していた時とは考え方が違うようです。言い換えれば、私が勤務医の間は多くのスタッフの支えがあって治療に専念できていたのだと気づきました。

しばらく考えてから、開業することを決心しました。
もちろん、経営をした経験はないので、心配です。
でも、診療所を作り、今後の人生をかけて、より地域に密着した治療をしていこうと決心しました。
人生が変わることですので、まず自分の奥さんに開業したいと伝えました。小さい子供たちにも、(理解できたがどうか分かりませんが、)伝えました。

勤務している病院の上司にも、開業したいと伝え、わがままを許していただきました。

開業に関してさらに勉強することにしました。

開業奮闘記 2回目「場所さがし(平成22年9月くらいから)」

どこで開業するのかを考えてみました。
小学校2年生の時に大阪茨木市から奈良市に引っ越して大学生まで生活していたので、慣れ親しんだ奈良市を第一希望にしました。

奈良市は思ったよりも広く、田んぼや山もあります。通勤に便利で暮らしやすくて住民は多いですが、そのぶん、駅前や住宅地には医院も多いです。

Googleの地図を眺め、医院が少なくて住民の多いところを探しました。そのような場所を見付けては、病院の勤務が終わってから車で見に行ったり、歩き回ったりする日々が続きました。

小学校の時に寄り道をした場所、転んでずぶぬれになった富雄川、自転車で道に迷った押熊、と思い出すことが多く、地図をみることは楽しい作業でした。

いつも地図を眺めていたので、勤務先の先輩Y先生には「また地図をみとるなぁ、地図が好きやなぁ~」と何度言われたでしょうか・・・。

医療機器会社や住宅メーカーの医院開業コンサルタントのかたに紹介していただいた場所を見に行ったこともあります。
カメラ片手に真夏の炎天下に汗だくになって街をうろうろしたこともあります。

紹介された物件を夜中に見に行ったこともあります。これもカメラ片手に・・・。
きっと怪しい人物だったに違いありません。

こんな日々が、2年以上も続きました。

もう、このまま開業場所が見つからずに年をとっていくのか・・・、と思うくらい半ばあきらめかけていた平成25年2月、先輩開業医N先生に紹介してもらったコンサルタントのOさんから、テナントの紹介がありました。 どこかと思ったら、子供のころからよく行く場所、近鉄奈良駅前でした。
近鉄奈良駅といえば、奈良公園にも近く、子供のころは映画館、写生大会、シルクロード博、御祭り・・・、大きくなってからはビブレ、無印、七五三・・・
数え上げればきりがありません。思い出だらけです。

そのテナントは2階でした。南向きの大きな窓があり、明るくて、街路樹の影が部屋で揺れていました。大通りに面しているのにかかわらず静かでした。
待合室、受付、診察室、キッズスペースなどの配置がすぐにイメージできました。

「ここだ!!」と一目ぼれでした。

慣れ親しんだこの街で新たな人生をかけることにしました。

開業奮闘記 3回目 「どんな診療所にするのか」

診療所を作る決心をして、場所も決めました。 しかし、来てくださった患者様にどんな診療を提供するのか、すぐに想像できませんでした。

私の専門は、消化器内科です。つまり胃腸、肝臓、胆嚢、膵臓を主にみる内科です。
これまでの勤務先での経験を振り返ってみると・・・

高齢のかたに多い疾患(誤嚥性肺炎、心不全)の治療や、胃ろうの処置などをさせていただきました。
救急病院や救命センターでは、吐血、下血、胆管炎、糖尿病性昏睡、重症急性膵炎、肝不全の 患者さんというような重症患者さんを診させていただきました。

県立奈良病院では内視鏡を用いた治療や抗癌剤治療もさせていただきました。

また開業前の2年間は内科をしながら、癌の痛み、苦しさなどの症状を和らげる、緩和医療も学ばせていただきました。

外来診療ではずっと、生活習慣病といわれる高血圧、脂質異常症(高脂血症)、糖尿病も勉強させていただきました。 甲状腺疾患、気管支ぜんそく、不整脈の患者さんも数多く診させていただきました。

超音波検査(エコー検査)、胃カメラ、大腸カメラの検査を数多く経験させていただきました。 それらを用いた処置(内視鏡手術)も数多く行いました。

ここには書ききれない疾患も多くありますが、本当に多くのことを患者さん、ご家族から学びました。

消化器疾患を中心に、内科を全般的にみることのできる診療所にしようと決めました。

開業奮闘記 4回目 「ホームページの顔写真と動画」

コンサルトのOさんから
「ホームページを作りましょう。顔写真があるほうが良いですよ」と言われました。

顔に自信はありません!!
似顔絵でいきましょう、と思いましたが、
診察に来られるかたに、どんな人が診察しているのだろう、という不安を持たれないよう、
写真を掲載することにしました。

私の子供が七五三の撮影でお世話になっている写真スタジオで撮ってもらうことにしました。

七五三や結婚式の新郎新婦が写真を撮るようなきれいなスタジオで、果たしてこんな中年の男が一人で写真を撮るなんて、前代未聞ではないだろうか、と不安なまま写真スタジオに電話をしました。

電話の返事を聞いて安心しました。
ホームページ用に写真を撮ることが、珍しいことではないようでした。

当日は、カメラマンさんもスタッフのかたも、私がリラックスできるように雰囲気を作ってくださいました。本当に心から笑顔になれました。

いい写真ができたと思います。

カメラマンさん、スタッフのかたがた、ありがとうございました。

これでオーケーと思っていたら、今度は、またコンサルタントのOさんから
「動画をホームページにのせましょう」との連絡がありました。

いやいや、顔写真でも、えいや!と思い切って撮影したのに、動画ですか。
恥ずかしい・・・。

でも、診察に来られるかたに、どんな人が診察しているのだろう、という不安を持たれないよう、動画を撮影することにしました。

当時の勤務先の病院で、いつもの白衣を着て、普段どおりにしゃべろうとしましたが、原稿どおり話せないものです。
失敗を20回くらいして、やっと完成しました。
緊張している様子がわかってしまって恥ずかしいですが、この動画をみて、少しでも私の雰囲気が伝われば幸いです。

協力してくれた、K先生、N事務員さん、本当に気長に有難うございました。

開業奮闘記 5回目 「医院設計」

医院設計については、医院設計の特殊性(電力、排水、換気、医院独特のスタッフの動線、患者さんの動線、レントゲン室の遮蔽)があり、専門にしている設計事務所を紹介していただきました。

最初に提示していただいたプランを基本にして、診察室の数、胃カメラ室の位置、
受付のカウンターの向き、玄関の大小の扉の位置(右に大きいとびらを置くか、どうか)、
診察室の大きさ・・・などなど。
当時の図面に残された、多くのメモが苦労を物語っています。

設計士、先輩医師、看護師さんの意見も取り入れて、何度も何度も何度も話し合いを重ねました。

ぎりぎりで、院長室をなくすことにして、さらに何度も話し合いを重ね、納得のいく設計にしていただきました。

壁紙、扉のデザインなどは、設計事務所のサンプルを実際に見てさわって、決めました。

南向きの大きな窓から陽がさしていて、患者さんに、ゆったりと安心していただける空間ができたと思います。

開業奮闘記 6回目 「院内セミナー」

・「また、食べ過ぎてしまいました」
・「運動をさぼっていました」
・「実は、お薬を飲み忘れていて、一か月分は残っています」
以前に勤めていた病院で、糖尿病の治療しているかたから、実際にこのようなことを聞くことがありました。

糖尿病の治療の必要性をよく理解していただきたいという思いが募り、糖尿病の合併症についてのセミナーを開催することとしました。

今までの勤務先で行っていた「糖尿病教室」の短縮版として、平成25年9月16日の敬老の日に、院内セミナーを開催しました。
台風18号が過ぎ去ったあとで、電車が止まっていたにもかかわらず、準備していた椅子にぎりぎり座れるくらい多くのかたに参加していただきました。
参加された皆様が、大変に熱心で勉強されておられました。
質問コーナーでは、活発な質疑応答があり、改めて糖尿病や生活習慣病の関心が高いことを実感しました。
今後も、このようなセミナーを開催してほしいとリクエストが多く寄せられました。地域の皆様の役に立てるように頑張りたいと思います。
来場していただいた皆様、本当にありがとうございました。

開業奮闘記 7回目 「内覧会」

平成25年9月23日の秋分の日に、内覧会を開催しました。
内覧会というのは、院内をご紹介するという趣旨の見学会のようなものです。

3連休最後の日で、行楽日和にもかかわらず、多くのかたに来院していただきました。
「10月からよろしくお願いします」と言っていただいたかたがおられて、スタッフと一緒に準備してきた苦労が一気になくなりました。
来院していただいたかたがたが、とてもお話ししやすい、笑顔の多い優しいかたばかりで、こちらが癒されました。

医院の開業準備をしていく段階で、手ごたえというか、皆様に必要とされているかという実感は全然なく、正直に言うと少しは不安になることもありました。
今日は、皆様の当院に対する大きくてあたたかな期待をひしひしと感じられる一日でした。

来院していただいたかたがたに、スタッフを代表して、御礼を申し上げます。
ありがとうございました。

開業奮闘記 8回目 「模擬診察」

患者役のかたにきていただいて、実際の診療の流れを確認する作業を行いました。

・患者さんが受付にこられる
・受付さんが保険証を確認する
・患者さんが住所、氏名など必要事項を書く
・患者さんが問診票に、来院した理由、希望を書く
・受付さんがパソコンに入力する
・診察室に患者さんをお呼びする
・私が診察する
・私が電子カルテに、診察内容・処方内容を入力する
・看護師さんに、点滴、血液検査、レントゲンなどが必要か伝える
・看護師さんが検査などの準備をする
・検査が終わって、私が結果を説明する
・私が薬を処方する
・受付さんが、会計処理をする
・患者さんが支払う

ざっと書いて、このくらいのプロセスを経て、「お大事に」とお声を かけて、帰ったいただくことになります。

全ての動きを確認するので時間がかかりました。この書類はどこに置くかなどの細かいことまで決めていきました。

本番で患者さんをできるだけお待たせしないように、スタッフ一同、真剣に取り組みました。

開業奮闘記 9回目 「開業前日」

いよいよ、明日に開院です。

医院のひとつひとつが職人さんの手で作り上げていただいたものです。
目に見えないところでも、多くのかたに支えていただきました。
友人、知人、先輩、後輩、業者のかた、大家さん、両親、家族・・・
本当に多くの、実に多くのかたがたの支えがあり、ここまでやってこられました。
この場をかりて、お礼を申し上げます。ありがとうございました。

おかげ様で、とても気の優しくて、てきぱきと音をたてて働いてくれるスタッフにも 恵まれました。
あとは、私が仕事をするだけです。

不慣れな点もあるかもしれませんが、今後20年、30年と地域を支えていく所存です。 温かい目でどうか見守っていてください。よろしくお願いします。

皆様と会える日を、楽しみにしています。

橋本 耕二